Gallery
車両図鑑
鉄道車両図鑑
戦前期
千代鉄70型電車(初代) TYPE70-Ⅰ

1917年12月1日、大正の千代丘に花開いた電気鉄道。
16年から19年にかけて計9両が製造され、活気づく千代丘を華々しく飾りました。
現在の電車と比べ、車体も小さく非力ですが、電力という次世代エネルギーを用いた鉄道の開業により、千代丘は大都市への発展の道を歩み始めたのです。
千代鉄70型電車(2代目) TYPE70-Ⅱ

初代70型の9編成の内、5編成をダブルルーフから丸屋根に変更。 走行機器は86型との共通化や1200Vへの昇圧化などの更新工事が行われた他、残る4編成は事業用車のデジ71型に改造されました。
86型と共通運用の為、連結時にも使えるブレーキが追加され、車体を鋼製化し、電動機も86型と同じ物に換装されました。
千代鉄86型電車 TYPE86

1200V昇圧対応と音無高速電気軌道線への直通対応車として1926年2月15日に登場。
旅客需要が増大していた千代鉄の救世主として、初の連結走行や、走行中の車両間移動が可能になるなど、千代鉄の歴史を大きく動かした車両です。
千代鉄90型電車 TYPE90(辻浜鉄道デ10型電車)

辻浜鉄道の急勾配を多用した線路設備に対応するべく、大出力モーターを搭載し砂箱など空転対策を施した電車としてデ10型を1928年2月14日に導入しました。
このデ10型電車は1928年から、辻浜鉄道が千代丘鉄道に吸収された1937年まで、約9年間使用されましたが、車両製造を行った五十嵐鉄鋼会社が昭和恐慌のあおりを受けて1931年に倒産していたため、整備用部品が不足し故障が頻発。千代鉄に吸収された後は車番を90型に改めて使用されるも、800型電車に置き換えられ、廃車となりました。
晩年は千代鉄86型からの部品流用や機器の載せ替えなどで整備が行われていたため、外観は殆ど86型と相違なくなっていました。
千代鉄800型電車 TYPE800

1938年7月16日、乗客の増加に対応するため、2両編成の800型を導入しました。
従来車で生まれていた連結面の運転台分のデッドスペースを解消し、詰め込みが効くように改良されました。
千代鉄850型電車 TYPE850

1940年、800型電車の製造が終了すると、800型のマイナーチェンジ車である850型が10月1日に登場しました。
車体の一部を木製から鋼製に変更するなど、細部に変更が加えられています。
1917
千代丘電気軌道株式会社 設立
第一次世界大戦の影響を受け、1915年後半から好況に転じた日本経済の中、千州地方の千代丘・神崎の両都市でも路面電車が開業し都市の発展が始まりました。
それと同時に両都市間の移動需要も高まり、鉄道による貨客輸送を求める声が多く挙げられました。
この日本の好景気と両都市間の移動需要の増大を受け、1917年(大正6年)の5月、千川博文の手によって千州地方初の鉄道会社、千代丘電気軌道株式会社が設立。
同年6月、千代丘~白雪間の免許を取得し、翌月の7月に工事を開始すると、同年12月1日に千代丘から神崎(現・神崎市)駅間において軌間1067mm、直流600V電源を用いた電車による旅客・貨物輸送を開始しました。
1920
千代丘鉄道株式会社 へ商号変更
1919年、千代丘電気軌道は千代丘~神崎間の輸送で延伸資金を貯めると、既に免許を取得していた白雪まで路線を延伸し、翌年の1920年12月には白雪まで開業。
白雪駅まで開業した同年12月10日、千代丘電気軌道から千代丘鉄道株式会社へ商号を変更し、千南の輸送を担う一大路線へと進化を遂げました。
1921
千代鉄本線 武岡まで開業
1920年、音無では音無高軌音武線(おんぶせん)の音無~千尋渡(現・北千尋駅)間が開業、1921年には千代鉄本線が音無方面へ延伸し、現在の千代鉄本線武岡駅までの路線が開業。1922年には千川財閥の融資を受け、音無高軌が音無川橋梁を落成させ武岡まで延伸し、千代鉄本線と接続しました。
1926
千代鉄本線 音武線と相互直通開始
千代鉄本線 1200V昇圧電化工事
1926年には、長大化する路線で起こる電圧降下への対策や、鉄道部品の共通化によるコスト削減を図るため、当時としては画期的な直流1200V昇圧電化工事を行いました。
この昇圧以降、千代鉄本線は音武線と相互乗り入れを開始し、県内の交通アクセスを向上させました。
1927
辻浜鉄道 設立
1930
辻雪隧道 落成
1930年1月には千歳川~辻野落合(現・つばめ台)間の長大トンネル「辻雪隧道」が開通しました。
千州急行電鉄は千代丘鉄道に合併、千州急行線は千歳川線に編入され、新たに千代鉄白雪本線に改称されると、千代鉄の路線の中で最初に全線開通を果たしました。
1931
優等種別 運転開 始
1935
辻浜鉄道を買収
1938
鷺沢線 新葵川~辻野落合間 開業
920年(大正9年)からの大恐慌にもかかわらず、発展を続けてきた千代鉄でしたが、1929年(昭和4年)10月24日からの世界的な不況の前には、千代鉄もその影響は受けざるを得ませんでした。この不況下においてさらに千代鉄に負担をかけたのは、自動車運輸業の急速な発達でした。
乗合自動車やタクシーが各都市で事業を展開し、千代丘鉄道の営業圏を侵食すると、千代鉄の営業成績は徐々に振るわなくなっていったのでした。
このような不況に直面した当社は、多角経営を進める一方、乗合自動車業への進出を通じて営業圏の拡大を図りました。
自動車交通への対抗策として千代鉄は、1937年に辻浜鉄道から引き継いだ路線計画である「北東新線」の建設を開始し、1938年10月20日に北東新線(新葵川~辻野落合間)が開通。鷺沢線に改称の上、鷺沢を目指して延伸工事が進められました。
鷺沢線沿線では宅地化開発を進め、固定通勤需要を生み出すなど、安定的な開発が行われました。
1941~
配電統制令 施行
県内最大手私鉄へ・・・
昭和16年(1941年)、国家総動員法に基づき1941年8月に配電統制令が施行されると、千州電力を始めとする一帯の電力事業者が千州配電株式会社に統合され、千代鉄は電力事業を失ないました。
主力事業の一つが配電統制令よって崩れると、平時立法の陸上交通事業調整法や、戦時統制による国内陸上運輸事業の管理を目的に施行された陸運統制令に基づく形で、千州地方の鉄道・乗合自動車業界は統合への道を歩み始めました。
1941年に多数の乗合バス事業者を、1943年1月7日に風見電鉄を、1944年5月12日に音無高速電軌軌道をそれぞれ合併し、千代丘鉄道は澪岡県内の最大手私鉄となりました。
鉄道車両図鑑
戦後期
千代鉄600型電車 TYPE600

1946年8月15日、戦災の影響でこれまで千代鉄で走行してきた86型、800型、850型の三形式は老朽化と破損が著しい状態でした。戦後に急増した輸送量には当然対応できず、千代鉄は限られた物資の中で600型電車を導入しました。
運転窓も小さく加速も遅い電車でした が、戦後の千代鉄を動かし始めた名車両です。
千代鉄501型電車 TYPE501

戦後の混乱期を乗り越えた千代鉄の車両たちは、不足する部品や劣悪な軌道を走行していたため、老朽化が進行し故障が頻発していました。
そこで、それらの老朽化した旧型車の置き換えと輸送力の改善を図るべく、1951年7月14日に501型電車を導入しました。
千代鉄1000系電車 Series1000

昭和初期から走り続けてきた旧型車両も老朽化の進行から遂に第一線を退くことになり、不足する輸送力を補う車両として1958年7月1日にデビューしました。
当時としては珍しい8両編成の長編成でした。
また、車両付番も改められ、系を初採用しました。
千代鉄1000系電車(二次車) Series1000

1958年に登場した1000系のマイナーチェンジ車として1962年に登場。
前照灯は丸い一つ目ライトから四角いライトボックスに変更され、近代的な見た目になりました。
後年、全国的に車両の冷房設備が導入され始めると、千代鉄 でも導入が開始され、その時初めて冷房が搭載されたのはこの1000系2次車でした。
千代鉄2000系電車(初代) Series2000

1963年5月1日、戦前から運行されている鉄道車両の置き換えと、車両増備による運用の冗長性確保を目的に、2000系電車(初代)を導入しました。
この車両からいわゆる「千代鉄顔」と 呼ばれる車両デザインが確立され、以降4000系まで継続されました。
この車両は1980年に登場する二代目2000系に形式を引き継ぎ新2000系・旧2000系と呼ばれ親しまれましたが、1995年に廃車、一部は博物館へ保存となりました。
千代鉄2000系電車(初代) Series2000
新コーポレートカラー更新色

1977年8月30日、グループブランドの強化を目的に2000系電車(初代)を更新色に更新しました。
この車両は1980年に登場する二代目2000系に形式を引き継ぎ新2000系・旧2000系と呼ばれ親しまれましたが、1995年に廃車、一部は博物館へ保存となりました。
千代鉄3000系電車(初代) Series3000

昭和初期から走り続けてきた旧型車両を置き換えるにあたり、不足する輸送力を補う車両として1964年2月1日にデビューしました。
その後は1980年のダイヤ改正にて、二代目2000系に置き換えられる形で引退しました。
千代鉄4000系電車 Series4000

千代鉄線の速度向上と旧型車の置き換えを完了させるべく、1964年7月1日に登場しました。
2ドアクロスシートの設備を持ち、主に優等種別で使用されました。
登場当時は3000系よりも人気がなく、不人気車種でしたが、後年には「千代鉄顔の完成形」と呼ばれ、引退間際には多くの鉄道ファンに囲まれていました。
その後、1980年のダイヤ改正にて、二代目2000系に置き換えられる形で引退しました。
千代鉄5000系電車(初代) Series5000

1965年、千代鉄は旧型車両の運用削減を目指し、1000系に続く新型車両の導入に踏み切りました。
この5000系は故障が頻発する旧型車両の運用を減少させ、千代鉄の社会的な信頼を大きく向上させました。
この車両は1998年まで使用され、当時計画中であった新5000系に形式を引き渡す形で引退しました。
千代鉄5000系電車(2次車以降) Series5000

5000系(初代)の増備用として1966年に登場。
5000系を運用する中で顕在化した変電所問題を考慮し、電動車の割合を低下させ、高出力 なモーターを搭載し、5000系以上の出力を出しました。
この車両は1998年まで使用され、当時計画中であった新5000系に形式を引き渡す形で引退しました。
1945
戦後初の新製車両 600型の導入
終戦直後の当社の輸送力は著しく低下しており、それに対して旅客需要は、食糧の買 い出しや遠隔地への通勤者などの影響を受け、異常なほどの増加傾向にありました。
また、道路輸送の輸送力不足から急増した鉄道旅客需要への対応も重なる中、車両不足や電力設備など、戦後の千代鉄は輸送力増強が第一の課題となりました。
輸送力を改善するためには、第一に鉄道車両の増備が必須ですが、その鉄道車両の心臓部である電動機の生産が落ち込んでいたため、千川重工から直流電動機の供与を受け、1945年から600型電車を製造し、戦後の混乱期を乗り切ろうとしました。
また、施設復旧もすすみ、安定輸送が開始されました。
1955
輸送力の抜本的改革 始まる
当社線では混雑緩和が早急な課題とされ、600型電車の導入や優等種別の運行などを行いました。
先述のような輸送力の抜本的な改革は、1955年以降第五次まで続く「輸送力増強計画」として継続、1955年の第一次輸送力増強計画では、計画に基づき電車の速度向上や車両更新を行い、1958年に全線の使用電圧を1500Vまで引き上げました。
車両の面では、老朽化の進行などの理由から、一部の車両を廃車し、それに伴い不足した輸送力を補うための新型車両1000系の導入も同時に行いました。
1959
第二次輸送力増強計画
1959年、千代鉄では増加する沿線人口や団地の造成により、第二次輸送力増強計画として既存路線の設備増強が各所で行われました。
特に千代鉄本線の日奈から武岡の区間では、重点的に工事が行われました。
開業時から長らく単線であったこの区間は、音無高速電軌軌道との連絡と千南地域の鉄道網構築を急いだ当時の社長によって1921(大正10)年に単線で開業しました。それ以来、この区間は千代鉄本線で唯一単線のままでした。
当社は輸送力増強のため、列車編成の長大化、運転本数の増加、優等運転再開などの施策を実施していましたが、この単線区間のために、高頻度運転や優等運転を最も必要とする朝の混雑時に全列車を各駅停車にせざるを得ませんでした。
そこで、第二次輸送力増強計画では、千代鉄本線を重点的に拡充。問題の日奈~武岡間では複線化が行われ(本線第二期線増強工事)、従来よりも頻度を上げた運転を可能としました。
この工事により、千代鉄本線は全線にわたって複線となりました。
1963
第三次輸送力増強計画
かざみ野線を除く千代鉄各路線では全線が複線化されましたが、それでも尚慢性的な混雑や遅延に悩まされていました。
特に鷺沢線と白雪本線の線路が共用となっているつばめ台駅~鷺沢市間では慢性的な遅延が発生しており、改善は必須の状況になっていました。
そこで、1963年から第三 次輸送力増強計画として、つばめ台から鷺沢市までの区間で方向別複々線を用いた新線建設が行われることになりました。
既存の鷺沢線・白雪線が走行する複線高架の横に新しい高架線を建設し、複々線とすることで工期と費用を抑えて建設を行うことができました。
また、かざみ野線にも全駅に交換設備の設置を行いました。
1967
第四輸送力増強計画
空港線高速鉄道建設計画 開始
鉄道車両図鑑
新CI期
千代鉄6000系電車 Series6000(1次車・2次車)

1977年8月25日、大正時代から続いた標準色も遂に終わりを迎え、新塗装を施した6000系を導入しました。
当時の千代鉄とは思えない大胆なデザインでしたが、多くの人に受け入れられ、現在まで千代丘の蒼として受け入れられています。
この車両デザインを採用した6000系は、後年3次車の登場に合わせて順次更新工事が行われました。
そのため、1次車、2次車に関しては先頭車両の長さが少しだけ長くなっています。
千代鉄6000系電車 Series6000(3次車以降)

1978年8月、デザインは1次車・2次車と大きく変わり、以降6000系は全先頭車両がこのデザインへと統一されました。
千代鉄2000系電車(二代目) Series2000

1980年、乗客需要は伸びる一方で、6000系では車両不足に陥りました。
そこで、状況を改善すべく新形式の増備車両として2000系が登場しました。
先進的なデザインで最新形式として相応しい車両となりました。
この車両は2012年に引退し、三代目2000系に形式を受け渡しました。
千代鉄7000系電車 Series7000

1988年7月10日、千代鉄にも都市間連絡の速達化の時代が到来しました。
これまで走行していた老朽化した旧型車両を全編成置き換えるべく、88年から91年にかけての4年間で計304両が製造され、千代鉄は100km/hを超える速度での都市間高速輸送を可能としました。
3ドア8両、転換クロスシートを装備し、乗る人を楽しませてきましたが、2021年4月20日に引退が発表され、同年8月1日に引退しました。
千代鉄8000系電車(初代) Series8000

1990年5月1日に、車両運用の冗長性を確保するために登場。
従来からの設計思想を引き継いだ最後の新型車両で、1989年から1995年にかけての6年間に300両が製造されました。
連結しての運行を前提として設計され、貫通路を通して各編成を行き来することができます。
この電車は2020年に廃車され、2022年に登場する二代目8000系に形式を引き継ぎました。
千代鉄9000系電車(初代) Series9000

1992年5月13日に、車両運用の冗長性を確保するために登場。
千代鉄の先進性を大きくアピールするため、従来の設計思想とは大きくかけ離れた大胆なデザインとなりました。
2005年には修繕工事が行われ、前面・側面の行先表示幕、種別表示幕が反射型LCD表示機(三菱電機製)に更新されました。
この電車は2021年に廃車され、2022年に登場する二代目9000系に形式を引き継ぎました。
1977
6000系 導入
千州国際空港開港から5年後の1977年、空港アクセスや千代丘から各都市間の連絡など、千代鉄の旅客需要は増加の一途をたどっていました。
また、各都市と千州国際空港へのアクセス高速化を目的に同年8月25日に6000系の導入が開始されると同時に、都市間を結ぶ最速手段として新たに最速達種別「特急」の運転が開始。
この6000系の導入により、本線の優等種別で長らく使用された旧型車両は優等種別から退き、千代鉄は澪岡県内の移動のシェアを不動のものにしました。
最速達種別「特急」運転開始
1977
第五次輸送力増強計画
1980年、当社は第五次輸送力増強計画として「第五次本線延伸計画」を発表し、音無から先の雫原市内の雫原駅まで延伸する事を発表しました。
工事は順調に進み、翌年の1981年12月5日、無事に千代鉄本線は全通を果たしました。
そして、この1980年12月5日が64年の歳月を経て全路線が全通した日となったのでした。
千代鉄本線全線開通
千代丘鉄道 全路線全通
1988
速度とサービス向上へ
1988年、これまで第一線で活躍してきた千代鉄の旧型車両郡は老朽化が進行し、新型車両の導入が早急な課題となりました。
そこで当社は、新型車両の7000系を登場させ、速度とサービスの二つを底上げしました。
この増備により、千代鉄本線と白雪本線で使用されてきた旧型車両は支線区に押し出される形で転属し、二つの本線は6000系、7000系の二種類で運 転されることになり、運転速度の向上とともに県内の移動時間の短縮による思わぬ経済効果を発生させました。
鉄道車両図鑑
新系列期
千代鉄5000系電車(二代目) Series5000

2000年5月1日に、千代鉄通勤型車両の新しい標準として登場。
2000年から2010年にかけての10年間に計210両が製造され、千代鉄を次世代の千代鉄へと進化させました。
新型の車両制御システム「TISC」を搭載し、 運転士は運転台に備えられたパネルから出区点検、主回路関連、補助回路関連、 サービス関連の指令を送ることができるようになり、運転台周りの機器やスイッチ類を減少させ、乗務員の負担を軽減しました。
また、雪対策として強制パンタ上昇装置やスノープラウを搭載しています。
千代鉄3000系電車(二代目) Series3000


2012

2020
6000系、7000系の老朽化による置き換え新造車として2020年5月13日に登場。
19年から22年の四年間にかけて計108両が製造され、「TISC」の標準搭載化に加え、バリアフリーゾーンの設置、車内監視カメラや話せる車内通報装置の初設置など、2020年の千代鉄を代表する車両となりました。
また、雪対策として強制パンタ上昇装置やスノープラウを搭載しています。
千代鉄10000系電車 Series10000

6000系、7000系の老朽化による置き換え新造車として2021年1月28日に登場。
20年から22年の二年間にかけて計186両が製造され、「TISC」の標準搭載化、バリアフリーゾーンの設置など、千代鉄の先進性を表す車両となりました。
また、雪対策として強制パンタ上昇装置やスノープラウを搭載しています。
千代鉄2000系電車(三代目) Series2000

本線・空港線の輸送力増強用として2021年4月20日に登場。
2021年から計180両が製造予定でしたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)感染拡大による旅客需要の減少により、一年後の2022年に製造が終了しました。
「TISC」の標準搭載化や、空港線での運用時を想定した乗り心地向上のため、台車や車体間にヨーダンパを設置し、また、接客面においてもスーツケースなどの大型荷物収納スペースの設置など、グローバル化する千代鉄を代表する車両となりました。
また、雪対策として強制パンタ上昇装置やスノープラウを搭載しています。
千代鉄50000系電車 Series50000

通勤特急のための車両として2021年8月16日に登場。
21年から計224両が製造されましたが、2022年50028編成の落成を最後に生産は終了しました。
「TISC」の標準搭載化や、車内コンセントの全席完備など、千代鉄初の特急車両となりました。
千代丘寄り3両にリクライニングシート、その他5両はL/Cシートを搭載しており、フリーランスな運用が可能です。
千代鉄8000系電車(二代目) Series8000

車両運用の冗長性の確保を目的として2022年5月20日に登場。
「TISC」の搭載化や車内LCDの表示言語の拡充など、接客面でも従来車よりも大幅なリニューアルが加えられるとともに、車両デザインにおいても当社初となる前灯や尾灯、急行灯を上部に纏める斬新なデザインを採用し、大きく広げられた前面窓と曲線を多く用いた親しみやすいフォルムの千 代鉄の新たなフラックシップ車両です。
千代鉄9000系電車(二代目) Series9000

車両運用の冗長性の確保を目的に8000系に続いて2022年6月1日に登場。
21年から23年の二年間にかけて計180両が製造され、「TISC」の標準搭載化、バリアフリーゾーンや優先スペースの設置など、接客設備の拡充を図る一方で、車両デザインでは、前灯を中央に設置し尾灯と急行灯を上部に集約して設置した 斬新なデザインを採用しています。
千代鉄52000系電車 Series52000

千代鉄特急の需要逼迫への対応として2022年7月15日に登場。
「TISC」の搭載や、車内コンセントの全席完備など、50000系から引き継いだ点も多くありますが、一番の特徴として、千代鉄特急の新たな標準色として車体色を一新、旧標準色を踏襲する形で千代鉄特急色として令和の時代に約50年の時を越えて復活しました。
また、6両編成中千代丘寄りの2両を有料座席指定サービス「C-Car」専用の指定席車両としています。
千代鉄20000系電車 Series20000

車両運用の冗長性の確保を目的として2022年7月20日に登場。
2010年頃に導入予定だった電車のデザイン案を流用し、コストダウンを図ると共に、モダンなデザイン性を確保しました。
「TISC」の搭載や車内LCDの表示言語の拡充を行うほか、ホーム検知装置の設や防犯カメラの大幅増設等、安全性の向上に大きく寄与しました。
2002
「Chiyoca」サービス開始
千代鉄ICカード
2005
永信急行電鉄線 子会社化
澪岡県都市開発株式会社
2002
千代鉄HD化へ 事業再編
2017
千代丘鉄道 100周年
2021
「C-Car」サービス開始
特急座席指定サービス
2023
相互直通運転 開始
涼川電鉄線
千代丘市営地下鉄線
鉄道車両図鑑
永急併合期
千代鉄11000系電車 Series11000

1970年4月1日に登場。
車両デザインは千代鉄旧5000系2次車と同じで、性能もほとんど同じですが、出力などは線内の高速走行に対応できるように向上させています。
2024年に千代丘鉄道に移管され、塗装変更の上11000系に改番しました。
この車両は老朽化を理由に2024年12月をもって引退しました。
千代鉄12000系電車 Series12000

11000系(永急1000系)の後継車両として2007年10月16日に登場。
千代鉄5000系以降に搭載されている「TISC」を、永急線内で初採用し、業務の効率化を図りました。
殆どの性能を千代鉄と共通化させており、整備を容易にしました。
2024年に千代丘鉄道に移管され、12000系に改番しました。
千代鉄13000系電車 Series13000

11000系(永急1000系)の置換車両として2020年4月1日に登場。
千代鉄5000系以降に搭載されている「TISC」を、永急線内で12000系(永急2000系)に引き続き採用し、業務の効率化を図りました。
殆どの性能を千代鉄と共通化させており、整備を容易にしました。
2024年に千代丘鉄道に移管され、13000系に改番しました。
To the next100 years
2024
永信急行電鉄線 吸収合併
澪岡県都市開発株式会社
